東日本大震災から、7年と9カ月経ちました


先日、お客様先でご一緒することになったコンサルタントの方に、自己紹介する機会がありました。


その時に、「3.11東日本大震災をきっかけに、放射能懸念もあって、千葉の浦安から竹田市に引っ越してきました」と説明しました。


そうしたところ、「当時、知り合いのフィリップス関連のある科学者が、『関東からも出た方がいい』という情報発信をしていた。」というお話を聞きました。


そんなタイミングで、たまたま手にした「ソーシャルデザイン」について書かれた本にも、こんな文章がありました。


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○ 『「ほしい未来」は自分の手でつくる』(鈴木菜央著)


“ 東日本大震災が起きる前のいすみは、田んぼが広がる田舎とは思えないくらい、毎日が刺激に満ちていました。

 ~ ところが、原発事故後、少なくない数の人(多くは移住者)がいすみを去りました。

  早い人は、1号機の爆発が起きた3月12日に、いすみを離れる決断を下しました。 ”



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とても懐かしい。。


我が家も、千葉県いすみ市の「ブランズフィールド」が大好きで、田植えや稲刈り等、四季のイベントに良く参加していました。


本当にどんな選択が「正解」なのかは今でも分かりません。。


ただ、自分で選んできた人生の枝分かれを、常に「最高」「最善」にするために、今後も考え抜いて行動するしかないと思います。

Dソリューション研究所

~移住フリーランスが、竹田・大分企業を担う若手後継社長の、マネジメントとリーダーシップ能力向上に貢献いたします~

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